第一話:バレンタインデー前夜

『はい。『さみしがり屋川崎支店』、店長の|会田《あいだ》です』
『……、あの、今日お店開いてますか?』
 電話の声は若い女性の声だった。
『はい。うちは二十四時間、三百六十五日、年中無休で営業しております』
『……、店長、今から会いに行ってもいいですか?』
『はい。お待ちいたしております。気をつけていらしてください』
 会田は丁寧に電話を切った。
「店長、今の電話、誰からですか?」
 アルバイト店員の|西田《にしだ》が会田に聞いた。
「ん? わかんない。お客さんって事は確か」
「店長、相変わらずアバウトですね。あの、アルバイトしてる俺が言うのも何なんですけど、店の名前変えた方が流行るんじゃないっすか? 『さみしがり屋川崎支店』って名前、ありえないっすよ!」
「いいの、いいの。店の名前は変えないって先代の店長との約束だから」
「それじゃ、店長、『本店』ってどこにあるんですか? 『本店』の場所、教えてくださいよ」
「……、西田君、そんなに『本店』の場所聞きたいの?」
「はい、教えてください」
「……、ダメだよ~。教えられないよ~。『本店』の場所教えたら君も僕もクビになっちゃうも~ん」
 西田の問いかけに会田は答えた。
「店長、いつも同じ答えですね。なんで『本店』の場所を秘密にするんですか?」
「ごめ~ん、西田君。秘密にする理由も教えられないよ~」
 会田はいつも西田の質問に対して答えをはぐらかす。西田は不思議な店だと感じながらもアルバイトを続けていた。
 ここは、神奈川県川崎市の片隅にひっそりと佇む「さみしがり屋川崎支店」と言う一風変わった店名のカフェバー。昼間はカフェとして、夜はバーとして営業している。年齢不詳のハイテンションな店長、会田と、数名のアルバイト店員で切り盛りしている。

 カランコロン。
 ドアベルが誰かが入店してきたのを教えてくれた。
「いらっしゃいませ」
 会田が入店して来た者に対して挨拶をした。それにひき続いて西田も挨拶をした。
「……、あの、先ほどお電話した者なんですが……」
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。お好きな席にお座りください」
「……、それじゃカウンター席に……」
 若い女性客はカウンター席に座った。
「まずは、何からお飲みになりますか?」
 会田は女性客に聞いた。
「とりあえずビールを……」
「かしこまりました。西田君、『とりあえずビール』を一つ」
「はい!」
 西田はビールサーバーからグラスに生ビールを注いだ。
「おまたせしました、生ビールです。キンキンに冷えてますよ!」
 西田が女性客のもとに生ビールとお通しのミックスナッツを差し出した。
「西田君、『とりあえずビール』と『まずはビール』の注ぎ方の違い、マスターした?」
「店長、全然違いがわかりません。同じ生ビールじゃないっすか!」
「気持ちの込め方が違うんだよ。『とりあえずお疲れ様でした!』と『まずは一杯!』の違いだよ。サーバーからグラスに注ぐ時に、注文されたお客様の気持ちを込めないと」
「は、はい……」
「お客様、ビールを飲むの少々お待ちください。三人で乾杯しましょう!」
「は、はい」
「店長、俺も飲んでいいんですか?」
「うん。僕が『とりあえずビール』と『まずはビール』の違いを改めて教えてあげるよ!」
 そう言うと会田はビールサーバーから二杯の生ビールをグラスに注いだ。
「お待たせしました、お客様。それでは乾杯いたしましょう!」
「店長、何に乾杯するんですか?」
 西田は会田に尋ねた。
「『今夜の出会いに乾杯!』かな? それでは乾杯!」
「乾杯!」
「……、乾杯……」
 会田の乾杯の音頭につられて西田と女性客も乾杯をした。
「西田君、君が飲んだのが『とりあえずビール』で、僕が飲んだのが『まずはビール』だ。飲み比べてみたまえ。違いがわかるはずだ」
 西田は会田に言われた通り飲み比べてみた。
「店長、全然違いがわかりません。同じ生ビールです」
「そうかな? お客様、私の注いだ『まずはビール』飲んでみますか?」
「……、いえ、結構です……」
「う~ん、惜しい。間接キッスのチャンスだったのに~」
「すいません、お客様。うちの店長、いつもこんな感じなんです」
「いえいえ、少し気持ちが晴れたような気がします。ここのお店の事は友達から教えてもらいました。……、店長、私の悩みを聞いてもらえますか?」
「ええ、僕で良ければ喜んでお聞きいたします」
 女性客は生ビールを一口飲んでから抱えている悩みを会田に話し始めた。

「……、私、好きな男性がいるんですけど、明日のバレンタインデーに告白しようと思っていたら、今日彼から私の事は妹のように思っているって言われちゃったんです。私、告白する前にフラレちゃったんですよ……」
「……、そうですか。お客様、お名前を教えて頂けませんか?」
「……、|須藤夏陽《すどうなつひ》です」
「夏陽さん、失礼ですがそんなのフラれたうちに入りませんよ。『妹のように思っている』、良い事じゃないですか。彼にとって夏陽さんは、他の女性とは違った特別な存在なんですから。今は『友達以上恋人未満』の関係なのかもしれませんね。夏陽さんが彼の事を本気で好きならば、明日予定通り彼に告白しちゃいなさい。夏陽さん、若いんだから恋愛に対してはもっとこうガツガツいかないと! 好きな男性が他の女性の『恋人』になってしまいますよ!」
「は、はい!」
 夏陽は会田の言葉に答えると、グラスに注がれた生ビールを一気に飲み干した。
「夏陽さん、もう一杯いかがですか? 私から夏陽さんのために一杯サービスさせて頂きます」
 会田は夏陽に尋ねた。
「いいんですか? それじゃもう一杯お願いします」
「かしこまりました」
 そう言うと会田は一杯のカクテルを作り始めた。

「お待たせしました。『テキーラサンライズ』です。テキーラベースのカクテルですが、オレンジジュースで割っているので飲みやすくなっていますよ」
「ありがとうございます」
 夏陽は会田から差し出されたテキーラサンライズを一口飲んだ。
「……、美味しい!」
「美味しいでしょ? 夏陽さん、花言葉があるように、お酒にも『酒言葉|(さけことば)』っていうのがありましてね。夏陽さんの恋を応援するためにこのカクテルを作らせて頂きました」
「店長、このカクテルの酒言葉は何と言うんですか?」
 夏陽は会田に尋ねた。
「『熱烈な恋』です。明日彼に夏陽さんの好きだという思いをストレートに伝えてください。夏陽さんの思いはきっと彼に伝わると思いますよ。もしよろしければ明日またこちらにお越しください。告白に成功したらお祝いを、失敗したら残念会をやりましょう」
「はい! 明日彼に絶対告白します!」
「応援してますよ。ねっ、西田君!」
「は、はい。夏陽さん、頑張ってくださいね!」
「ありがとうございます!」
 夏陽はテキーラサンライズを飲み干すと会計を済ませて店を後にした。店を後にして歩く夏陽の後ろ姿からは、並々ならぬやる気が満ち溢れていた。
「夏陽さんの恋、うまくいくといいですね。ねっ、店長!」
「そうだねぇ。成功しても失敗しても『恋の経験値』はアップするさ」
「『恋の経験値』ですか? 俺もアップさせたいなぁ……」
「西田君も若いんだから恋愛に対してはガツガツいかないと! 若いうちにたくさん恋をしないと、僕みたいな格好良いオヤジになれないよ」
「店長が格好良いオヤジかどうかはわかりませんけどね」
「西田君、そんな事言うと、夏陽さんが飲んだテキーラサンライズの代金、西田君のバイト代から差っ引くよ」
「店長、すいませんでした! 店長は格好良いオヤジです!」
「わかればよろしい」

 翌日の午後八時過ぎ、須藤夏陽は再び「さみしがり屋川崎支店」に顔を出し、会田に『とりあえずビール』と『まずはビール』の二杯の生ビールを注文した。
 夏陽は、カウンター席の隣に座る彼と『とりあえずビール』と『まずはビール』の飲み比べをしたが、会田の言う二杯の生ビールの違いは全くわからなかった。
 午前二時過ぎ、今夜の営業が一段落したところで店内の片隅に設置してあるコルクボードに新たな写真が一枚加わった。
 その写真は、須藤夏陽と彼との記念すべきツーショット写真だった。