No.016:年賀状

2019年10月22日

 2015年最初にエッセイで取り上げるテーマは、「年賀状」。

 一月七日を過ぎれば、もう年賀状は届く事はないだろう。
 私は、毎年行う年賀状のやり取りが、人と人との「ご縁」が見える化する物の一つだと思っている。
 以前勤めていた会社を辞めてからは、翌年の元日に届くように、郵便局が毎年コマーシャルで伝えている元日必着のポスト投函期限までには、極力ポストに投函するようにしている。
 以前勤めていた会社に在籍していたサラリーマン時代は、上司や先輩の方々には、極力元日に届くように考慮して年賀状をお送りしていた。サラリーマン時代の約二十年間、どんなに仕事納めの日まで忙しくとも、ほぼ毎年年賀状を送っていたと思う。

 私の年賀状をお送りするスタンスは極めてシンプルで、「私と繋がりがある方々」だ。
「そんな事、当たり前だろ!」というお言葉が返ってきそうだが、この「私と繋がりがある方々」というのがとても幅が広く、お世話になった上司や先輩はもちろんの事、同期入社の方や、一緒に仕事をした同僚や後輩が含まれる。
 たとえ、私が年賀状をお送りした方が年賀状を送る習慣が無い方だとしても、私が今後も「ご縁」を育みたい方であれば、私のもとに年賀状が届かなくても、私は年賀状をお送りしている。年賀状代五十二円とプリンターで印刷するちょっとした手間だけで、こちらの近況報告ができるのだからご縁を育むには安い出費だと思っている。

 中でも、多分、私が年賀状をお送りした方の中には、「なんで、風富来人は毎年私のところへ年賀状を出すのだろう?」と、不思議に思っている方もいるかもしれない。
 なぜならば、私は一度も一緒に仕事をした事が無く、ほとんど会話をした事が無い同期入社の方や後輩、そして、私の上司だった方の元上司にも年賀状を送っているのだ。
 上記に挙げた方々からは、いつ年賀状が私のもとへ届かなくなっても不思議ではない。
 しかし、ありがたい事に毎年欠かさず年賀状を頂いている。

 毎年、年賀状が届く一月上旬は、嬉しくもあり悲しくもある時期だ。
 私と繋がりのある方々の近況を知る事ができるのは嬉しい事だが、その反面悲しい事がある。
 それは、「年賀状のリストラ」だ。
 私が「年賀状のリストラ」を初めて経験したのはサラリーマン時代。
 これまで年賀状のやり取りをしていた先輩が、中間管理職以上の役職についた途端に年賀状が届かなくなった。
 まぁ、中間管理職以上の役職ともなれば、毎年届く年賀状の枚数はおそらく百枚以上になるだろうし、全員に年賀状を送るのは大変な事だろうと思う。
 しかし、人望のある方や、後輩や部下を大切に思う方は、どんなに役職が上になろうとも毎年欠かさず年賀状を送ってくれる。
 私は疑問に思う。
 人との繋がりを疎かにする上司に対して、部下は信頼の念を抱くのだろうか?

 今年は、これまで年賀状のやり取りをしていた方々のうち、数名から年賀状が届かなかった。その数名の方々は、とても多忙な方々ばかりだ。
 現在では、フェイスブックで近況を知る事もできるが、多忙を極める方はフェイスブックを利用する時間すら無い。そもそも、SNS(ソーシャルネットワークサービス)に興味の無い方もいる。
「便りがないのは無事な証拠」とは言うが、近況を知りたかったという思いはある。年賀状が届かなかった数名の方々にも、今年一年を素敵な年で過ごせるようにと祈っている。

 来年の年賀状には小説の執筆活動の成果が報告できれば良いなと思っている。
 そのためには、一作でも多くの作品を丁寧に執筆していきたいと思う。

 今回はこのへんで。
 それではまた。

2018年5月25日(金)追記

 季節外れな記事で申し訳ありません。
 過去に書いたエッセイの投稿はもう少し続きます。
 今しばらくお付き合いください。